「神は死んだ」――19世紀実存主義の哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)の言葉だ。彼が唱えた概念は、当時の西洋社会においても、そして現代を生きる私たちにとっても、あまりにセンセーショナルだった。そんなニーチェはドイツの出身だが、実はスイスにも深い所縁があるのだ。
2016年現在、女子高生がバイト帰りにニーチェに出会う小説「ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた」(ダイヤモンド社 / 著: 原田まりる)が大きな話題となっている。今回は、その小説にも登場するニーチェを深く掘り下げるべく、ヨーロッパで現地取材をした。
・ニーチェが初めてスイスを訪れたのは24歳
ニーチェの哲学を、まずは大まかにおさらいしよう。19世紀、超越的な存在(神)をもたない世界で生きる私たち人間は、思考や判断のより所すらも喪失していた(ルサンチマン)。しかし、そんな絶望的な状況でも、自身の生に対して能動的に、力強くアプローチしつづける者を、ニーチェは「超人」と呼んだ。
当然、日本でも哲学分野でニーチェは熟知されていたが、2010年出版のベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』から、より広く知られるようになったといえるだろう。
・55年でこの世を去った哲学者の生涯
24歳になるまで、ニーチェは出身国ドイツで学業にはげんだ。その勤勉さが評価され、博士号や教員資格を取得していなかったが、教授になる誘いを受けてバーゼル大学(スイス)へ。それが、ニーチェとスイスの縁が始まりだ。
・スイスで直面した人生の過渡期
教壇に立ちながらも、ニーチェは『人間的な、あまりにも人間的な』など複数の著書を出版。順調にアカデミズムの道へ進んでいた10年目、転機が訪れる。当時33歳だったニーチェは体調不良のために辞職、そのまま哲学の道に専念することとなった。
それと同時に、病身にも快適な環境を求めたニーチェ。各地を放浪するなかで、たどり着いたのは、スイス東部グランビュンデン州の村シルスマリア(Sils Maria)だった。アルプスの裾野にある小さな村をニーチェは気に入り、1881年この地に別荘を建てた。
・書斎や寝室そのままに「ニーチェ記念館」としてオープン
44歳を迎える1888年まで、毎年夏になればニーチェはこの別荘へ訪れたという。ここで過ごした最後の年の10月には、自伝『この人を見よ』を世に発表した。
ニーチェ哲学が生まれた(かもしれない)その屋敷は、現在ニーチェ記念館になっている。手書きの原稿やニーチェの蔵書をはじめ、休息をとったベッドまで展示。なんとなく、哲学者が暮らした家はふみこむべきでない“禁断領域”のような気もするが。
いったいここで、ニーチェはどのような思索にふけっていたのだろうか。ふいに窓の外へ目をやると、村唯一の古びた教会と、その向こうに雄大なアルプスが見えた。
Nietzsche-House
住所:Via da Marias 67, CH – 7514 Sils Maria
電話:41 81 826 53 69
時間:火~日曜15:00~18:00(月曜閉館)
料金:入館料CHF8、ガイドツアーCHF15
もっと詳しく読む: 世界最強の哲学者ニーチェ / 彼とスイスの「特別」な関係を徹底取材(Photrip フォトリップ) https://photrip-guide.com/2016/10/29/nietzsche-switzerland/